藤部 恭代
うん?ナンダ!これは・・・
骸骨?こどもの裸?
やっちゃんの頭の中はどうなってるんだ。う~ん。
ねぇ~カンくん。インタータイダルってなに?
お姉さんはこれをヒントに、人の生と死の間、意識と無意識の間など言葉にしにくい世界を絵画で表現しようとしているんだよ。
じぃちゃんのややこしい話を聞くより加藤先生のカタログテキストがはるかにわかりやすいから、大事なところだけ読んでみるねぇ。
「美意識と美学に裏打ちされた世界観」(抜粋)
加藤 義夫(宝塚市立文化芸術センター館長)
『私の制作は、あくまで美しいものを表現することに尽きるのですが、表面的な美しさの中には相反する様々な事柄が常に存在します』と語る藤部 恭代さん。12年ぶりの本格的な個展「藤部 恭代 ― インタタイダルワールド2022」を企画した。今回の個展では、関西初の発表となる「FIFTH」を展示する。
本作は「311東日本大震災」をテーマにし、藤部さんがこれまで描きたかったものが象徴的に凝縮されているという。それは「希望」という名の絵画であり、神の息吹による「復活」を意味するものだった。
「青空の中、立ち昇る雲の間から見えるのは文字です。繋がるとシンプルな言葉になりますが、重なりバラけることで一つ一つが形になって還元するイメージです。原子力事故の水蒸気も、男の子と女の子とが重なる間に見える骨も、地平線に見える煙突も、多くが重なり合うことで新しい形になればいいと思い描きました」と彼女は解説する。みずみずしい美しさとまばゆい光、そして透明度に満ちあふれた画面が人々の心を打つ。
やっちゃんはこの作品で加藤先生も言っている神の息吹を感じて復活と再生を描いたんだ。
お姉さんのキーワード”美の下に相反する存在”がはっきりと実感できるよ。
シチリアのマヨルカ焼に伝わる神話がベースにあって、そこにダビンチの最後の晩餐のキリストのポーズ(特に手の表情)が重なる。裏切りや永遠の愛のイメージをスタートラインにして、ひねり技が入ってくる。男性を女性に変えて、ジェンダーを示唆し、陶器をガラス瓶に換えて透明性を、バジリコの木を斑入りの椿にしてさりげなく日本美を…。
うわぁ~もうダメだ!じぃちゃん助けて!
あぁ!じぃちゃん鼻水!ハナミズ!
クゥちゃんティッシュ!ティッシュ!
あっ!おちるおちる!
はい、ティッシュ!
そやねぇ~、要素が組み合わさって出来上がった絵やから…クゥちゃんのように第1印象で「浮遊する美」を楽しむやり方、カンくんのように「絵を読み解く」方法。どちらもイイネ!
唯、ちょっと不思議に思っていることがあってなぁ…普通はこの方法で描けば、文学性が表面にでてくるとか…シュール性が際立つとか…しかし画面にそう呼ばせるものはない。その時、ふと目に止まったのが、27歳の制作コメント!これは画論だね!
かいつまんでみると、
”80%の衝動と20%の理性で描く” ”性と感情の変化を楽しむ” ”永遠に変わらぬ時を求める” ”既出を新鮮な表現にリメークすれば新たな可能性” ”技術・価値観、新しいものには興味を持つ” と、このフィルターを通すと、彼女の輪郭がはっきりして、先の疑問もなんとなく薄らぐのやけど、何かを見落としているようで…う~ん?
次に行くか。おぅ、アラベスクか。
なんとなく不気味じゃ…でも美しい。
加藤先生に感謝だね。さぁ、最後にもうひとつ難物が…ちょっと待て!
カンくん、お姉ちゃん”目”について何か言ってなかったか?
"生は死をいきる" このタイダルでは救われることのない魂がイルージョンの極みを表現する。
その結果作品は、見る人の心を救い、夢や希望を感じさせていく。天台に ”十界互具(じっかいごぐ)”という言葉がある。これが彼女の本質を見抜く審美眼と重なると、混沌の世界に響を与えて、無限に広がる美しさを想起させてくれる。
楽しくなるねぇ。これだぁ~!
ROPEは救命用の結び方で、縁や絆を感じてもらえたら。と。
B&Fは鳥と花のこと、鳥のほととぎすと花のほととぎす。名前が同じで、模様も似ている。これを融け合うように表現した私的花鳥画です。と。
Blaschkoはブラシュコ線のことで、細胞が分裂をくり返し、体表を移動すると痕跡文様ができるそれを石膏像の上にかぶらせてみた。この神秘性は教えてくれなかった。
INTERTIDALはピンクとブルーのグラデーションで、出来るだけ紫に近づけないように幅の広さと深さを工夫した。と。
何だかスゴーイ作品の前にいるようだね!
じぃちゃんの言う ”十界互具(じっかいごぐ)” 10の世界の各界がまた10の世界をもつフラクタルな世界に何か通じている。ボクのようなα世代はこのカオスこそが大事で、奥に流れる重奏低音のスピリチュアリティがスッゴク心地いいんだ!この作品は恭代姉さんの傑作の一点だと思うな!
この作品は藤部さんの芸術宣言かもしれんな。
知覚を礎にした形が理論化されている。それを回転させながらイルージョンを産みだすと、ゆるやかな変化が起こり、時間が透視できるようになる。やがてカオスにある霊性の琴が鳴りだすと救われない魂はタイダルに身をさらす。そして芸術が永遠のテーマになると!藤部さんの世界をじぃちゃんは大まじめに考えたんだがな。
最後の問いかけは文脈にあわない唐突な表現?バナナの絵。
うん?これっ単なるバナナじゃないぞぉ~ねぇ~カンくん この感じって何?!
「昔、バナナが高価だった時。貧しい少年が病室でバナナを食べている人を見た。自分も ”食べたい!” とポツリ。 余命を知る医局員はすぐ買いに走り 1本のバナナを与えた。少年は目を輝かせ自の生命をむさぼるように食べた。6日後、おだやかな微笑を浮かべて心のふるさとへ旅立った。」
お姉さんはこの背景を1本のバナナに託したから単なる静物画ではないよね!
でも何故この表現方法なのかは答えてくれなかった。じぃちゃんはどう考えてるの?
そして表現方法はこの時代のリアリズムだと結論づけた。
1本のバナナの絵はこうして生まれた。どやこの説は!
そして、これを象徴にして原点にある本質を見失わないことを誓った。この作品がパンフレットの最後にある意味がようやく見えてきた。
誰にでもわかる作品を提示することによって、藤部 恭代の画業の本質を伝えようとしているのだと!